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2012年7月のパワープッシュアーティストは…

第三惑星交響曲 / 石崎ひゅーい

2012年7月のアーティスト

Profile

1984年3月7日生まれ。茨城県出身。28歳。本名。 母親がDavid Bowieのファンで、その息子がZowie(ゾーイ)という名前だったことから、 もじって、Huwie(ひゅーい)と名付けた。 横浜の山下町にあるライブハウスで、音楽プロデューサー須藤晃と出会う。 その後、エドワード・エンターテインメント・グループとタッグを組み、プロジェクトをスタート。 2011年10月 MONKEY MAJIK主催のチャリティライブ『SEND愛』のオープニングアクトを務め、デビュー前にして 約6,000人の前で堂々と独自のエモーショナルなライブパフォーマンスを披露し、会場を圧倒させた。 2011年11月 渋谷O-eastにて行われた『海仙山仙~第二幕~』に出演。 2012年3月 初の音源作品「第三惑星交響曲」を仙台限定でリリース。タワーレコード仙台パルコ店インディーズチャート 1位を獲得。 仙台darwinにて完全招待無料ワンマンLIVEを開催。 2012年4月 RakeツアーTOUR2012 “WONDERFUL WORLD”のオープニングアクトとして全国12カ所行脚。 2012年7月 EPICレコードよりミニアルバム『第三惑星交響曲』でデビューが決定。 激しいだけではない、切ないだけではない、感情が揺さぶられる歌声。 ありふれた日常を特別な一瞬へと導く魔法のような表現者、「石崎ひゅーい」 2012年7月25日デビュー。

Power Push! Interview

強く、強く人間を求める裸の歌が、咆哮している。石崎ひゅーい。時代が求めるシンガーソングライターの旋律と響きと熱を、彼の歌はまとっている。まずは、デビュー・ミニ・アルバムのタイトル曲であり、今月のPower Push!に選ばれた「第三惑星交響曲」を聴いてほしい。そのうえで以下のインタビューを読んでもらえたら、と思う。

実家の窓ガラスには、デヴィッド・ボウイの「ロックンロール・スーサイド」の歌詞が掘ってあるんです(笑)。

“ひゅーい”という名前はお母さんがデヴィッド・ボウイのファンで、ボウイの息子のゾーイをもじってつけられたそうですね。

石崎ひゅーい:そうなんです。どんだけ好きなんだよっていう(笑)。両親がデヴィッド・ボウイやトム・ウェイツが好きで。家では彼らの曲がずっとかかってました。だから、親に聴かされていたというよりは、小さいころからBGMとして聴いていたという感じで。実家の窓ガラスには、デヴィッド・ボウイの「ロックンロール・スーサイド」の歌詞が掘ってあるんですけど(笑)。

すげえ(笑)。じゃあ物心つく前からボウイやトム・ウェイツの曲が皮膚感覚的に入り込んでいたというか。

石崎:そうそう、そういう感じでした。いい、悪いという感覚もなく、あたりまえのように存在していましたね。

幼いころからロックを好んで聴くわけでもなく?

石崎:それはなかったですね。僕、あまり音楽を聴かないんですよ。強いて言えば、中学のときはSPEEDとかシャ乱Qをよく聴いてましたね。今でもほとんど自分の曲しか聴かなくて。あまりよくないのかもしれないけど。

いつから唄いはじめたんですか?

石崎:中3の学園祭のときに友だちにバンドに誘われて。ハイスタのコピー・バンドで唄ったんです。それが唄うきっかけでしたね。自分から積極的に参加したわけではなかったんですけど、いざステージで唄ってみたら気持ちよくて、おもしろかったんです。その後、高1の半ばくらいから地元でライヴ活動をするようになって。そのときからオリジナル曲をやっていたんですけど、僕は曲を作ってなくて。たまになんとなくメロディを乗っけるくらいでした。

自分で書いた曲を唄いたいとは思わなかった?

石崎:そのときは思わなかったんですよね。

どんなバンドだったんですか?

石崎:オルタナ・ミクスチャー・ハードコアみたいな。地元の茨城のハードコア・シーンではそこそこ人気があって。で、高3年くらいから自分で曲を作りたいって思うようになったんです。そう思うのと同時にバンドの音とか英語の歌詞が嫌になってしまって。それでそのバンドを解散して、大学に入ったタイミングで日本語のロックをやる新しいバンドを組んだんですけど。自分で曲を書くようになったのはそのときからですね。

自分で曲を書くようになって、音楽に対する距離感はかなり縮まったんじゃないですか?

石崎:ホントにそうで。大変だけど、跳ね返ってくるものがそのぶん大きかったですね。

自分が唄いたいこともどんどん定まっていった?

石崎:全然定まらなかったです。今も定まってないです(笑)。

いや、今は定まってるでしょ。

石崎:ひとりで唄うようになってから、少しずつ自分なりの歌を書けるようになってきたのかなとは思うんですけど。

ちなみに2つ目のバンドはどれくらい続いたんですか?

石崎:そのバンドは2年前の11月に解散して。そのバンドの活動もどんどん行き詰まっちゃって。ライヴハウスで100人くらい集めてもその先が見えないというか。そんなときに今プロデュースしてもらっている須藤晃さんと出会うんですけど。須藤さんが“ひとりでやれ”って背中を押してくれたんです。最初は戸惑いもあったんですけど、ひとりになったときに歌がいっぱい書けたんですよね。それまではバンドというフィルターを通して自分の歌を出していたんだけど、それを取っ払ったらすごく楽になって。

裸の歌になれた?

石崎:そうそう、そんな感じですね。でも、まだ自分がどういう音楽をやりたいのかは全然わからなくて。だから、どんどん変わっていくと思うんですよ。それでいいと思ってるし。僕、曲を書く前にどういう歌を書きたいかまったく考えないんですよね。日々生活しているなかで蓄積されたものがバラバラに出てくるというか。その繰り返しで。

親孝行じゃないけど、母ちゃんを喜ばせたいなって。そういう思いで書きました。

ただ、さっきも唄いたいことが定まってないと言っていたけど、このミニ・アルバム『第三惑星交響曲』に収録されている曲は、どれも徹底的に人間の有り様を至近距離で描いているじゃないですか。

石崎:人が好きなんでしょうね。昨日も歯みがきをしながら街を歩いているおじちゃんを見たんですけど、そういう人がすごく気になる(笑)。自分は人間が好きなんだなって最近特に思います。だから、人間の本質を唄いたいなとは漠然と思っているんですけど。たくさんの人に向けて唄うんじゃなくて、1対1でそういう歌を唄いたいなって。

そのために人間の醜さや愚かさもしっかり見つめたいと思っているだろうし。

石崎:そうですね。人間が大好きだけど、大嫌い。だけど、やっぱり大好きみたいな(笑)。

そういう歌が中心に強くあれば、どんなサウンドに乗ったとしてもブレないだろうし。

石崎:うん、ホントにそうで。逆に言えば、そこがダメなら全部ダメだと思います。

アレンジを手がけているTomi Yoさんはひゅーいさんの歌に豊かな社交性を持たせていると思うんですけど。信頼のおける通訳というか。

石崎:すごい。よくおわかりで。ホントにそのとおりです。彼と出会ってから自分の歌がすごく変わったんですよね。ふたりでいろんな話をするんですけど、音楽の話は10分の1くらいなんです。彼に曲を渡すときにも“こういう曲にしたい”ということは一切言わなくて。完全に任せてますね。いつもすごいアレンジを上げてきてくれるんです。

アルバムのタイトルにもなっている「第三惑星交響曲」という曲はどんな思いで書いたんですか?

石崎:これは死んだ母ちゃんに書いた曲なんですよね。

歌詞を読んで、もしかしたらそうかな?と思っていたんですけど。お母さんは既に亡くなられているんですね。

石崎:はい。この曲は、母ちゃんの死んだ日の歌です。歌詞に出てくる“葬式”も母ちゃんの葬式で。この曲を作る前に、満遍なく喪失しているような曲を作っていたんです。その歌が最初にあってライヴでもやっていたんですけど、ある日、親父から電話がかかってきて。“こんな曲を聴いても母ちゃんは喜ばないよ”って怒られたんです。

いい親父さんだね。

石崎:そうですね。確かに自分でも違和感があったんです。それで書き直したのがこの「第三惑星交響曲」なんです。

この曲は立ち止まってないですよね。お母さんに対する記憶や存在を自分のなかに強く刻みつけながら、生きていこうとする歌になっている。

石崎:うん、そういう曲を書かなきゃダメだと思って。俺、人生のなかでいちばん母親に影響を受けていると思うんですけど、親孝行じゃないけど、母ちゃんを喜ばせたいなって。そういう思いで書きました。

お母さんはどんな人だったんですか?

石崎:魔法使いみたいな人でした。話す言葉もすごく魅力的だったし、ロックだったし、芸術的な教養も与えてくれて。俺はそれがうれしくて。

ひゅーいさんには表現者になってほしかったのかな?

石崎:俳優になってほしかったみたいです。小さいころに劇団に入れてくれて。そういうこともうれしかった。

生きることは表現することだと考えていた人だったのかなって。

石崎:そうそう、そういう人でした。一般的なお母さんみたいなことは一切言わない人で。いい母ちゃんでしたね。あと、母ちゃんは宇宙が好きな人だったんですよ。家も星や宇宙のグッズであふれていて。そういうところも歌詞に反映されていますね。

サウンドのアレンジもこのミニ・アルバムのなかで異色と言えるくらいポップに開かれていますよね。

石崎:そうですね。最初はもうちょっとロック寄りだったんですけど、どんどんポップになっていって。

ライヴで唄っていてどうですか?

石崎:楽しいですね。楽しいし、泣けてきちゃいますね。

いつか全裸でライヴをやりたくて。

ミュージック・ビデオ(以下MV)は飛び跳ねながら唄うひゅーいさんに迫ったシンプルな作りですけど、撮影はどうでしたか?

石崎:すっげえ楽しかったです。MVだから歌がぐちゃぐちゃになっても関係ないじゃないですか。だから“どうにでもなれ!”みたいな感じで。監督の箭内道彦(風とロック)さんも“いけいけ!”って言ってくれて。箭内さんはおもしろい人でしたね。自分の歌をすごく理解してくれているなと思った。“ひゅーいくんが表現したいことをバーン!とやってくれればいいよ”って言ってくれて。

今後、自分の音楽がどう変わっていくかわからないと言っていましたけど、そのうえでひゅーいさんが貫きたいことはなんですか?

石崎:いつか全裸でライヴをやりたくて。

全裸かあ(笑)。

石崎:武道館とか大きな会場で、ステージの装飾とかはせずに、満員のお客さんの前で全裸でライヴを2時間やるっていう。裸が好きなんですよね。別に見せたいわけじゃないんですけど、本気を出せるから。それを芸術として見せられる自分の絶頂期が来ればいいなと思ってます。

歌に関しては?

石崎:無理矢理曲を作らないということですね。どれだけ忙しくなっても、無理矢理作らない。それだけは変えたくないし、変えられないと思います。

PowerPush!恒例企画 お祝いケーキSHOT

text:三宅正一

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【石崎ひゅーいのルーツミュージック】

デヴィッド・ボウイ 『ジギー・スターダスト』
デヴィッド・ボウイの作品のなかでも母ちゃんがいちばん好きなアルバムで。「第三惑星交響曲」の歌詞に“ロックンロールが流れる葬式とか”っていう一節がありますけど、母ちゃんの葬式でもこのアルバムが流されていて。だから、振り返るとこのアルバムの存在が自分にも強くのこっているんですよね。音楽的に影響を受けているわけではないんですけど、自分のあらゆる面で自分のルーツになっていると思います。

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